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マリー=アンジュ・グッチ インタビュー (2023年2月)
岡田Victoria朋子
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これまでに日本のどの都市を訪れましたか。そのほかにどこを見てみたいですか

 

東京には3回、うち2回はラ・フォル・ジュルネで訪れました。名古屋と大阪でも演奏したことがあります。

東京と大阪では、待ち行列に至るまで、すべて逆なのがとても面白いですね。同じ国の中で、文化や習慣がこんなにも違うなんて、びっくりです。

残念ながら、都市部しか知らないので、今度はできれば田舎に行ってみたいです。

 

日本の観客について、どのような印象をお持ちですか?

日本の観客は、本当に音楽好きでいろいろとよくご存知ですね。皆さん、感動に任せて熱意を示してくださることもありますが、ご自分の意見を伝える時は、よく考えて極端にならないようにされているように思います。日本に来るたびに感じるのは、聴衆のみなさんがアーティストに大きな期待を寄せられていて、厳しいながらも、広い心で演奏を聴いて下さるということです。そして、常にアーティストと交流しようと、近寄って来られます。これはヨーロッパにはあまりないことです。日本のみなさんは、それぞれのアーティストが芸術や音楽にどれだけ打ち込んでいるかを、常に高く評価してくださっています。ですので観客としては「完全」だと思うし、交流するのも楽しいです。

 

日本では、コンサートの後にサイン会が行われることが多いですが、経験されたことはありますか?

 

何度か経験しました! いつもすごいと思います。私たちアーティストにとってはほんとに特別な体験で、例外なく素晴らしい思い出になっています。みなさんと話していると、まったく異なるバックボーンや文化を持っていらっしゃることがわかります。にも関わらず、こんなに違う人々が、音楽を通して、美しい笑顔で集まれるというのは本当に素晴らしいことだと思います。

私たちアーティストは、たった何度かのコンサートのためだけに日本に来るのですが、聴きにきてくださる方々や主催者の方が短い滞在中いつも細やかな心遣いで応じてくださるので、素晴らしいという印象は誰もが持っていると思います。みなさんがここまで私たちをリスペクトしてくださるのには、とても恐縮してしまいます。ですので、ささやかでも感謝の気持ちをお返しできれば、といつも思っています。

 

プログラムはロマン派と後期ロマン派の作品からなっていますが、この時代に親近感はありますか? あるとすれば、それはなぜですか。

 

実は、私はいつもその時弾いている曲に親近感を持っていて、その世界に浸るようにしています。プログラムの作品はすべて何かを彷彿とさせる力を持っていて、まさにロマン派、という曲ばかりです。シューマンにはE.T.A.ホフマンの苦悩が、ラヴェルには絵画的な側面が、スクリャービンには音と色の一体性が、ラフマニノフには巨匠へのオマージュと変奏曲に広がる無限の可能性があります。極めて多様な角度からアプローチできる曲ばかりです。

 

現在、ピリオド楽器で原点に回帰する傾向が強まっていますが、これには魅力を感じますか? 

 

音楽家にとって、どんなものであれ、ソースに興味を持つことは絶対に必要な知識だと思うんです。ソースとは、版、自筆譜、作品の成り立ち…… そしてもちろん音としてのソースもあります。しかし同時に、これらをどのように統合するかが問題です。これは、解釈という避けられない問題にもつながっています。そしてその解釈はどんどん変化しています。解釈の枠組みは多かれ少なかれその時代のいろいろな事象と結びついていますので、さまざまな要素を視野に入れてそれらの間でバランスをとることが必要です。ところが、どのような解釈も、きちんとしたヴィジョンがあればそれなりに擁護できるものなので、これは大変な作業でもあります。過去の音楽遺産、つまり歴史的遺産や解釈的遺産と、現代のビジョンを交差させながら、演奏家個人の主観と客観をどのように統合していけばいいのか。また、録音技術が発明されて100年を経た今、過去の貴重な音源は、あまりにも膨大なゆえにリスナーや演奏家にとって扱いにくいものになるのか、それとも逆にそれらから解放されるのか、またはこれまでの動きを継承していくのか。一口にピリオド演奏と言いますが、そこにはいろいろな問いかけが内包されています。

これらはすべて、今現代において、演奏家をどのように位置付けるか、解釈をどのように位置付けるかという問題に関わってきます。解釈とは、どのように聴かせるか、どのように響かせるか、ということでもあります。楽譜をどう音にするか?楽器をどう鳴らすか? これはなかなか難しい問題です。

 

個人的にはモダンピアノで弾く方が好きですか。それともその時代の楽器を試されますか。

 

率直に言って、どちらがいいということはないです。一年くらい前までは、いつも真新しいピアノで、艶やかで明晰な音を探していました。でも最近は、19世紀の古い楽器で状態の良いものがあれば弾きたいと思うようになりました。もちろん、壊さないように注意しながらですけど。なぜ、古い楽器を弾きたいかは、まだわかりません。多分、音そのものの密度や色、ハーモニックスなどを追求するとそこにたどり着くのかな、とも思います。

現代の楽器の基準は何よりも安定性ですが、昔の楽器は、今の楽器に比べると安定性に欠けますよね。でも、そのおかげで、ずっといろんなことを探求することができるんです。違うタイプの楽器と異なる時代を行き来することは、常に視野を広げることにつながると思います。そして、昔の楽器を弾くことで、ある種の「人間的」な特徴を引き出したいという傾向が出てくるという印象も持っています。

いつも1種類だけの楽器を演奏し、いつも同じ種類のレパートリーを演奏して、いつも同じような探求をしていると、どんどん同じ方向に向かってしまいます。けれど、それ以外のことをすることで、この場合はピリオド楽器を弾くことで、別の視点に立って、固まった主観を和らげることができると考えています。

 

あなたの夢は何ですか?

夢ですか!夢がもしあるとしたら、一生ピアノを弾き続けていくことでしょうか。たとえピアノが弾けなくなっても、音楽に囲まれていたいし、そうなったら本当に幸せです。もうすでに素晴らしい人生を歩ませてもらっているのだから、それを続けない手はないですよね!(笑)

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