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クリスティアン・テツラフの来日に寄せて (2023年3月)
音楽ライター 後藤菜穂子

 クリスティアン・テツラフとの出会いは2000年、ロンドンでのことだった。彼が30代半ばにさしかかった頃だろうか。この年、私は彼がロンドン交響楽団と弾いた鮮烈なリゲティのヴァイオリン協奏曲(ブーレーズ指揮、バービカン・ホール)と、若きアンスネスとの直球勝負のデュオ・リサイタル(クイーン・エリザベス・ホール)を聴き、それまで自分が聴いてきたどのヴァイオリニストとも違った、彼の鋭く切り込むような演奏の虜になったのであった。

 同世代のヴァイオリニストには彼より美しく洗練された音を出す奏者は存在するし、もっと王道または正統派のアプローチを取る奏者もいて、そうした演奏ももちろん聴く。でも、テツラフのように曲を徹底的に掘り下げ、ときには表面的な美しさを犠牲にしてでも、曲の核に迫ろうという知的で気迫に満ちた演奏は、当時の私にとっては新鮮であり、刺激的であった。

 その上、彼のクラスのヴァイオリニストの多くがストラディヴァリウスやガルネリの名器を手にしている中で、彼はペーター・グライナーという現代のヴァイオリン製作者の楽器を弾いていることも私の関心を惹いた。それは、彼のエッジの聴いたボウイングに俊敏に応えてくれる楽器に思えた。彼が今弾いているグライナーの楽器は2000年製で、私が聴き始めた頃の楽器とは違うようだが、本人はインタビュー動画でその音色について「深みがあって輝かしく、力強くかつ優しさもある」と語っている。(グライナーがテツラフと同年代の製作者で、現在ロンドンに工房を持つ。)

 こうして、2000年以来、私は機会があるごとにテツラフの演奏を聴いてきた。追っかけとまではいかないが、もっとも多く聴いてきたヴァイオリニストであることはたしかであろう。協奏曲ではモーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、ショスタコーヴィチ(第1番)、バルトーク(第2番)、シベリウス、バートウィスルなどを聴いてきた。

 なかでも特に私の脳裏に焼き付いているのが2002年のBBCプロムスでのアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲である。共演は、デイヴィッド・ロバートソン指揮リヨン国立管弦楽団。ロイヤル・アルバート・ホールのアリーナ(立ち見席)の5列目ぐらいに陣取り、その演奏にくぎ付けになったことを覚えている。彼はリリカルかつ広がりのある音色で雄弁に語り、ときには内なる激しさを見せ、そして終楽章のバッハのコラールの引用の箇所ではヴァイオリン・セクションと心を合わせて祈るように音を紡いだ。それはとにかく特別な体験であった。一期一会の演奏というのはこういう体験を言うのだろう。

 以来、この時の演奏は私のベルクの協奏曲のベンチマークとなっている。それから20年余り、もちろん彼の人生にもいろいろな出来事があり、曲の解釈も変化しているだろうし、私の好みや心境も当然ながら変化してきた。お互いあの時、あの場所に戻れるわけではない。その意味において、今回の新日本フィルとの共演(3月4日、6日)では今の彼だからこそ描き出せるベルクを聴きたいし、私も新たな気持ちで臨みたいと思う。しかも、新ウィーン楽派のレパートリーをもっとも得意とするメッツマッハーの指揮とあれば、テツラフが自在に飛翔するための土台は築かれているようなものだ。

 そして今回は、2回のコンチェルト公演のあいだにヴァイオリン・リサイタルも開かれる。上記でも触れたが、私が最初に聴いた彼のリサイタルはアンスネスとのコンビであった。その時はバッハ(通奏低音付きソナタ)、バルトーク、シューベルト、ドヴォルジャークという渋いプログラムであったが、二人のさりげないヴィルトゥオジティと対話の雄弁さに魅了された(テツラフに触発されて、アンスネスもソロのときよりも大胆な表情を見せていたのが印象に残っている)。

 一方、テツラフにとってもうひとりの重要なデュオのパートナーであったラールス・フォークトとのコンビによるデュオや室内楽もロンドンでたびたび聴いた。今回トッパンホールで演奏されるバルトークのソナタ第2番はカドガン・ホールで、またブラームスのソナタ全曲はウィグモア・ホールでも東京でも聴いた。フォークトとのデュオでは気心が知れている分、お互いに自然体でいながら、踏み込んだ解釈を可能にしたように思う。その長年の音楽的パートナーかつ親友を昨年失った悲しみはいかばかりだったろうか。(フォークトとの最後のレコーディングとなったシューベルトのディスクのブックレットに、テツラフ兄妹が回想を寄せているので、読んでみてほしい[国内仕様盤は拙訳])

 実はコロナ禍の空白などもあり、私が最後にテツラフのデュオ・リサイタルを聴いたのがいつだったのか記憶がやや曖昧なのだが、いずれにせよ数年ぶりであることはたしかなので、今回新しくピアニスト、キヴェリ・デュルケンとどのような対話を繰り広げるのか、心から楽しみにしている。ヤナーチェク、バルトークの2番、ブラームスの3番と、東欧色の強いソナタ中心のプログラムだが、その中にスークの「4つの小品」というしっとりとした趣の作品が含まれているのも興味をそそる。

 探求の旅を続ける音楽家テツラフの今を体験できる充実の3日間になることだろう。

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